自分で選んだ以上は自分の責任。
今年の「中学受験」も終わり、ある記事では「第一志望に行けるのは5人に1人」とまで書かれていた。
2年前の息子の頃には3人に1人と言われていたが、今では5人に1人という記事まで出ているくらい、厳しい時代だと思う。
「チャレンジ校」や「適性校」だけを受験していると、本当に「全落ち」ということもあるし、例え偏差値が足りていても、受験者数が多かったり、当日の体調などによっては不合格もあり得るということを考えておいてもらいたい。
必ず「安全校」の合格は確保しておいた方がいい。
「落ちたら近所の公立でいい」なんて考えていても、実際にそれが起きた時にはそうはいかない。
何年も勉強してきたのに、結局、何もしてこなかった子たちとおんなじなの?となるし、繊細なお子さんの場合は、「みんな自分が受験したって知ってるのに、公立に行くなんて恥ずかしい。」と思ってしまう事もある。
受験前に想像していたのとは全く違う重さでのしかかってくる思いがある。
↓ 偏差値が気にならない親なんていない。
ネットで見た呟き。
「受験組は3年生までに公文を終え、長期休みには受験塾の講習に参加していたのに、うちは呑気に「花まる」や「アルゴ」で楽しんでいただけで焦った」というのを見た。
一つ伝えたいのは「低学年まで花まるに通ったこと」は必ず受験でも役に立つし、「花まる」のやっている「アルゴ」は本当にいい。
「なぜ?」を説明させてくれるので「論理的思考力」が養われる。
「花まる」がやっている「アルゴクラブ」は
「一生モノの財産」になるくらい素晴らしいモノだと思っている。
↓ 中学受験を考える前に読む本。
低学年の頃「花まる」に通っていた同級生が、3年生になると転塾して行った。
結局その子は我が家よりずっとずっと上の方の偏差値の学校に合格した。
何が違ったのか?
恐らく「勉強量」だと思う。
「与えられたものをやるだけの勉強」に自主性がないとの批判もあるが、やっぱり「中学受験」では「合格」を目指したい。
競争なのでたくさん勉強した子の方が有利なのは間違いない。
すぐ近くで我が子を見ながら「こんなんで本当に大丈夫なのか?」と思いながら、そのままにした私の責任だと思っている。
「今通っている学校」が決して嫌な訳じゃなく、通えば通うほど「いい学校だったな」と気がついた。
でも行きたかった学校は、偏差値で見たのではなく、
「我が子にはここがいい!!」と思った学校だった。
山ほど学校を見てきて、やっと見つけた「変わり者の息子でも大丈夫な学校」だった。
合格できなかったのは「ご縁がなかった」の一言だと思う。
親が見て「これで大丈夫か?」というくらい勉強していなかったのに、そのままにした私の責任は大きい。
息子にはもっと厳しさが必要だったと思う。
親に「子どもに向かって勉強しろと言うな。」と言うならば、先生がもっと脅してでも息子が勉強に向かうよう言い続けて欲しかった。
「彼には言っても無駄ですよ。」と言うなら、別の方法を考えて欲しかった。
私には「自分で考える」という事も足りなかった。
「自分で気づかなきゃ無理」と言うのもわかるが、「中学受験」は待ってくれない。
しかもチャンスは1回しかない。
そして今息子は、「勉強する楽しさ」を教わったとは思えない行動をしているし、未だに自分で気が付いてはいない。
高濱先生に教わった子は「勉強が楽しい!」と思う子に、しっかり育っている。
これからは「塾」で選ぶのではなく、「誰に教わるかが大事」というのがよくわかる。
↓ 高濱先生が日本一の先生とおっしゃる井本先生。
井本先生は「幸せに勉強は関係ない」っておっしゃってたな・・・
我が子は「中学受験」するには幼すぎたのだと思う。
そういう子を合格に導くのに
「自分で気がつくのを待っていて」間に合う訳がない。
「その学校に入ったから幸せ」というのではないだろうが、小さい頃から大変だった子どもの居場所としてやっと見つけた場所だったので、どうしても行かせたかった。
こういう思いをしないためには、子どもに合った塾に通わせないと・・・と思う。
小学生で、自分で勉強する子なんて稀だと思う。
なるべく、親が穏やかでいられて、子どもが伸びる塾を探してもらいたい。
個人的には、近所でいいところを見つけられたら最高だと思う。
「いい塾」は、受験が終わった近所のママに聞くのがいちばん。
子どもに合った先生と、通っている子の様子も大事。
やりすぎて子どもが潰れてしまったら意味がない。
それより、やる気に満ち溢れていて、「みんながやるから自分もやる」と自然に思える場所が見つかるといいんだけどな・・・
子どもに合った塾は、親が探すしかないな・・・
↓ 中学受験するなら読んでおこう。
↓ 中学生編。